寺田寅彦さんの「数学と語学」

 何故、今、寺田寅彦さんなのか? と不思議に思われるでしょうが、特別な理由はなく、ただ最近ダウンロードした無料の電子書籍の一つにこのエッセイがあり、もしかすると自分の塾のコンセプトとなんらかのつながりがあるかもしれないと思って読んだだけというわけです。

 このエッセイの中に次の文章があります。

 「私が『数学と語学』という題でこの原稿を書き始めた時は、こういう難しい問題にかかり合う考えはなかった。ただ語学が好きで数学の嫌いな学生諸君と、数学が好きで語学が嫌いな学生諸君とに、その好きなものときらいなものとに存外共通な要素のある事を思い出させ、その好きなものに対する方法を利用してその嫌いなものを征服する道程を暗示したいと考えたまでであった。」

 寺田寅彦さんはこのエッセイを、ある入学試験の受験生の成績における数学の点数と語学の点数との間に統計的相関があるといってもたいして不都合はなかったという記憶を辿ることから始めています。そして、数学と語学の間に見られる共通点として、記号符号が一種の文法に従って配列されて文章になると喝破しています。

 このエッセイを読んで、あらためて、なぜ自分が理科・社会など全ての用語・項目などなどを暗記しなければならない教科が嫌いで、「若干の公理前提を置いて、あとは論理に従って前提の中に含まれているものを分析し、分析したものを組み立ててゆく」数学や語学が好きだったかの理由に思い至った感じがしました。

 やや難解な英語の文章を読み解いていくと、そこには一見パズルのように雑然と並べられた単語しかないにもかかわらず、単語やイディオムのつながりを、文型などをはじめとする文法という論理や慣用という決まりごとに従って分析していくと、それまでぼんやりとしていた文意がひとつも曖昧なところなく明白になることがあります。

 これと同じ感覚は、数学で補助線を一本引いただけで、それまで見えていなかった角度の大きさが疑いなく定まるときに似た「やったー!」感を与えてくれるのです。

 語学において暗記しなければならない単語やイディオムの数は膨大ですが、それらをある程度身に付けた後は、いわゆる良い文章をたくさん読むことによって、語学力は向上します。数学でも、覚えるべき公式などは少なくありませんが、それを道具として使えるようになった後は、いわゆる良問を数多く解くことによって、数学の力はレベルアップします。

 数学と語学、考えてみるとどちらも道具と技術を使って、あとは体力と判断力に任せて頂上を目指す登山にも似て、なにか共通するものがあるのかもしれません。

 寺田寅彦さんが言うように、数学が好きなら英語も、英語が好きなら数学も、どちらも好きにかつ得意になる可能性は大きいのだと思います。

 しかしながら、「つぼや英数塾」の塾生にはどちらの教科も嫌いで、どちらの教科も不得手という生徒が少なくありません。ですが、どちらかの教科が得意になれば・・・、という期待感で指導を続けます。