東京オリンピック再び

 1964年の東京オリンピックは僕が8歳のときに行われました。その時の東京がどのような盛り上がりを見せていたかの記憶はないのですが、今に至るまでにテレビ番組などで何回も目にした大松監督率いる東洋の魔女と言われた女子バレーの映像やその後自らの命を絶ってしまった円谷選手のマラソンなどの映像は自分の少年時代の記憶と断片的にリンクして思い出すことができます。昭和40年代の高度成長はこのオリンピックを契機に始まったわけですが、昭和と言う時代において日本は本当に経済的には目覚しい成長を成し遂げたと感じます。

 今回2020年のオリンピック開催地が東京に決定したことは素直に嬉しいです。特に今回の開催地決定に至るプロセスにおいての最後のプレゼンテーションには、その身振り手振りの若干の不自然さと気恥ずかしさを差し引いても、プレゼンターの熱意が伝わり、強く感銘を受けました。

 「しかし」と思うのです。このお祭り気分に危うさを感じてしまいます。行け行けで突っ走った日本経済がバブル崩壊によって奈落の底に落ちたことを思い出しても、オリンピックのバブル気分に浮かれて、何よりも優先してやらねばならないこと、つまり震災地の復興と原発の汚染水の問題解決が華やかな舞台の陰に追いやられはしないかと。オリンピックを開催する一国の責務として、この問題解決は第一に取り組まねばならない課題であると改めて感じます。

 震災によって失われた命を身近にもつ方々にとっては、オリンピックが東京で開催されても、その悲しみの大きな穴が埋まることはありません。まわりがはしゃげばはしゃぐほど、逆に悲しみは深まり、孤独感は大きくなります。目に見える経済的復興は難しくないでしょう。それにはオリンピックがもたらす経済効果の一部も寄与するかもしれません。一過性のお祭りを尻目に、埋めることのできない悲しみは、ひとり一人が一生涯抱えていかざるを得ないものなのでしょう。気を紛らわす何かはあったとしても、そこには残念ながら本当の意味での救いはない気がします。

 東京で行われる2回のオリンピックの時代背景はとても異なります。1964年には日本全体の生きる勢いの中にオリンピックが取り込まれていた風でした。2020年の東京オリンピックに心踊るものを探すと、それは子どもたちの夢を育むひとつのきっかけになるだろうということです。7年後に大きな楽しそうなイベントがあるというだけで、子どもたちは漠然とながらも希望や期待を持てるような気がします。

 

 東京オリンピック再び

 

 東京が更に発展し、世界の注目を浴びる中、果たして地方はどうなるのでしょう。